第9回S&L会 講演要旨
「『料理バンザイ!!』バンザイ!」

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■講師 下川 靖夫さん
 1962年入社、一貫して制作畑を歩く。1982年4月スタートの「料理バンザイ!!」の初代プロデューサー。司会滝田栄、制作KANOX、雪印乳業1社提供のこの番組は2002年3月まで20年間放送された。
■日時 2014年6月11日(水)12時30分~14時
■場所 テレビ朝日社友会(六本木ヒルズタワー16階)E会議室
■内容

① 「料理バンザイ!!」誕生のこと
「料理バンザイ!!」は1982年4月4日スタート。日曜18時からの30分番組(当初は25分番組)。
当番組の放送開始までの8年間は現場から離れて制作管理部にいたが、放送開始の2か月前にプロデューサーを命じられた。
制作会社はKANOXで自分(下川さん)はチェックプロデューサーということだったが、スタート1ヶ月前の3月になってもKANOXサイドが何もしていないことが分かって放送に穴が空きかねない状況に愕然とした。そこでKANOXの担当Pと話してこちらで制作作業を進めることにした。
まず司会者はNHK大河ドラマ「徳川家康」(1983年度放送)収録中の滝田栄に交渉した。理由はふたつあった。滝田栄は中央大学山岳部で熱心に料理に取り組んでいて得意だったこと。もうひとつは番組コンセプトとして単なる料理バラエティではなく視聴者に料理について参考となるような、食にまじめに取り組む番組でありたい、そのためには司会者はまじめでなければならないことであった。
ギャラの問題があったが最終的にOKとなった。そこにKANOXサイドからは滝田だけでは地味だということで当時売り出しの歌手小林幸子を司会陣にキャスティングした。司会2名が決まった。
タイトルも新聞テレビ欄で1行に収まる字数の案で押し通した。

② 第1回収録のこと
第1回の料理人は自分が知っている石原慎太郎夫人に出演交渉してOKを取り、石原夫人から團伊玖磨夫人と三浦雄一郎夫人にお願いしてもらい、結局3人に料理をしてもらうことでなんとか収録に漕ぎ着けた。
ところが収録に際してビートたけしと杉田かおるのゲスト出演が決まっていた。要するに25分番組、正味20分無い番組で、司会、料理人、ゲスト合わせて7人が出演した訳である。案の定、3人の料理もどんな料理かも分からないようなわけのわからない内容になり、次回から料理をするのは2人にした。
結局当初の話では自分はチェックプロデューサーでプロダクションとの窓口であるはずだったが、全面的に制作に関わることになった。その後の視聴率の向上も含めて、制作はKANOXだが実際には局プロデューサーの自分の発言が重みを持つことになった。

③ コーナー企画「たまに行くならこんな店」のこと
レギュラー企画「たまに行くならこんな店」のコンセプトは、1人5,000円、4人家族で20,000円以内で行ける店ということにした。
調査取材に際しては公正を期するためと店に負担をかけないためにも必要な費用は払うようにした。

④ 視聴率とスポンサーの姿勢のこと
当初の3ヶ月くらいは3%台の低い数字だった。スポンサー・電通に強化策を提案しようとしたところスポンサーの雪印乳業は、「雪印乳業は食文化に貢献したいと考えている」「視聴率は要求していない、地に足の着いた番組を作ってほしい」と言うことであった。
その後徐々に上がり始め12月には18%台を記録し成果が出てきた。

⑤ 海外ロケのこと
放送開始の2年後に雪印乳業がワインを輸入することになり、営業要請で海外ロケの話が出てきた。ローマとパリでワインのある暮らしを紹介する番組を作りたいということであったが出張についてひと悶着が局内にあった。
このロケはトラブル続きとなった。
まずスタート時点で滝田栄がNHK大河ドラマの撮り直しで出発が遅れた。次にヨーロッパに着いたら歴史に残る交通ゼネストで、予定していた俳優が撮影に来られなくなった。急遽予定を変更、ロベルト・ムッソリーニの孫娘で新進女優のアレッサンドラ・ムッソリーニを起用してローマでの収録を行った。
さらに翌日パリ行きのTGVに乗る予定が、ゼネストで列車が動かず行けなくなってしまった。つぎはぎの臨時列車を押さえたが、豪華なTGVの食堂車の取材のはずが小さな食堂車のロケに変わった。現地のコーディネーターの獅子奮迅の活躍に感謝している。
パリではジョルジュ・ムスタキとミレーヌ・ドモンジョの収録をどうにか終えた。トラブルは続きその際に3台のカメラのうち1台が壊れてしまった。
その後、ルネ・クレマンとポール・モーリアの料理を収録、ここではKANOXの久世光彦代表の人脈の広さを思い知った。帰国の際にはタイアップしたKLMオランダ航空の機内食も取材した。

⑥ その後のこと
「料理バンザイ!!」のプロデューサーを4年経たのちに制作4部長となって、現場から距離を置くことになったが人間関係やらもろもろの事柄に巻き込まれたり波乱万丈の制作者生活を送る仕儀となった。
以 上

記録 福島基之


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2014.06.16 / Top↑
まとめ