S&L会

「取材秘話~皇室オモテとオク」  新里 善弘さん

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第13回S&L会 講演要旨
「取材秘話~皇室オモテとオク」

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■講師 新里 善弘さん
 テレビ朝日社友。1959年 現皇后美智子さまご成婚の年入社、社会部皇室担当で記者生活をスタートした。昭和天皇時代を中心に、特に美智子妃の皇室改革について豊富な取材経験をもとに語ってもらった。
■日時 2015年2月12日(木)12時30分~14時
■場所 テレビ朝日社友会(六本木ヒルズタワー16階)E会議室
■資料 今上天皇誕生(1933年)時の新聞記事2枚
宮内庁組織図
皇室予算
■内容
① 皇室のオモテとオク
皇室にはオモテの顔とオクの顔がある。昨年9月の第10回のS&L会では神田さんがオモテについて語ったが、今日はオクの話をする。
焦点は美智子妃の皇室改革の話、そして今の心配として雅子妃はこれからどうなるだろうということである。
私は1959年入社して最初の仕事が4月10日の美智子妃ご成婚の中継で、ADを命ぜられ、ケーブル捌きとタイムキープを担当した。
民放各局で中継現場を分担して、NETは外苑と半蔵門だった。
皇室の記録としては昨年9月に発表された昭和天皇実録の他に、入江日記(入江相政、1969年~85年侍従長)や富田メモ(富田朝彦、1978年~88年宮内庁長官)、また卜部亮吾侍従日記(1969年~91年侍従)など沢山あるが、これらに載っていない話をする。
② 皇室取材の困難さ
嘗て取材の困難さを言う「3大オフリミッツ」と言われたのが、共産党、相撲協会、宮内庁だった。共産党と相撲協会はその後取材対応が大幅に緩和されたが、宮内庁はいまだに「厚い壁」がある。
まず当事者に話を聴くことが出来ない。皇室の取材というのは基本的に当事者でなく他人からの取材と記者会見で、今でも裏を取ることが出来ずに報道しているものが多多ある。組織的にも宮内庁の内部部局はオモテが長官官房、そしてオクに当たるのが侍従職及び東宮職でお互いに一つの独立した組織として強い力を持っている。何事もスムーズに決めることのできない「厚い壁」の所以である。(資料:宮内庁組織図参照)
その一例だが、園遊会で陛下と招待者とのやりとりは皇室の生の声を聞ける唯一の場だ。その会話の取材録音が許可になったのは昭和47年(1972年)沖縄返還で昭和天皇が屋良知事に声をかけられた園遊会からだ。テレビの取材で映像と音声の同録は昭和57年(1982年)の「柔道は骨が折れますか」(昭和天皇)「―――はあ、2年前に骨折したんですがーーー」(ロスオリンピック金メダルの山下泰裕氏)のやりとりで話題になった園遊会まで何と10年間許可にならなかった。
昭和天皇82歳の誕生日にテレビ各局が関連番組を一斉に放送した。テレビ朝日は「天皇陛下と私・感動の名対話・名場面集!」を園遊会の天皇と招待者のやりとり10年に絞って放送した。映像と音声をシンクロさせる作業は至難だった。番組は陛下にも視聴者にも好評だったが、宮内庁報道課にはひどく叱られた。
③ 美智子妃の皇室改革
美智子妃の最初の改革は代々続いてきたと言われる皇子・皇女の育児方法を抜本的に変革したことである。
今上天皇までの子育ては、授乳は乳人(乳母)が、養育は里親が行い、両親である天皇・皇后とは別個の場所で行われた。(資料:新聞紙面あり)
美智子妃はこれらの乳人・傅育官(里親)制度を廃止して、一般と同様に3人の子供を全て自分で授乳・子育てをしたのである。いわゆる「ナルちゃん憲法」は、公務などで長期間留守にする際世話係になる人に美智子妃の育児方針を確実に伝えるため美智子妃自身が書きとめたメモの事である。
昭和天皇も嘗て手元で子育てをと考えたが反対され実現しなかった。昭和天皇の代に既に改革の必要性が醸成されていたと考えられる。
宇佐美毅宮内庁長官(1953年~78年)や民間サイドから美智子妃ご成婚に尽力した小泉信三皇室参与(慶応義塾大学塾長、当時)の改革に対するバックアップも大きく寄与した。
夫君昭和天皇も開明的な考えを持ち、1969年から使用している宮殿の一般人への内部公開を年に2回実施して開かれた皇室をアピールしている。また食事の「おしつけ」(試食・味見)制度も廃止、さらに独特の宮中言葉も無理に使わなくてよいことに改め、女官の通勤も認めている。
④ 昭和天皇の夫婦愛
昭和天皇と良子皇后(香淳皇后)の夫婦愛は非常に深いものがあった。
嘗てNHKの特番で昭和天皇の御名御璽のシーンで、掌のアップになると爪が伸びていたことがあった。この時、良子皇后は既に爪を切ることが出来なくなっており、昭和天皇が爪を良子皇后以外の人には切らせなかったことがわかる。「天皇のお脈拝見」の筆者である元侍医の話によると、どうしても切らねばならない長さになると、女官でなく侍医に切らせた。
また、側室制度も昭和天皇の代に廃止された。
⑤ これからのこと
天皇・皇后がこれから取り組む皇室改革は両陛下の葬送についての方針だ。従来の土葬から火葬に変えることを希望している。土葬は広大な土地が必要であること等から、陵については昭和天皇陵墓の8割くらいの規模に縮小するということである。

⑥ 雅子妃について
皇室改革の結果お側付も一新、警察庁、旧文部省、旧大蔵省からの出向者の「寄り合い所帯」。東宮のお側付侍従も小和田人脈の外務省系官僚に変わりつつある。
永年勤続のベテランが減り、2~3年で交代する官僚がオクまで入って来たため、かえって苦労しているのではないだろうか。「オモテ」と「オク」を親身になって調整の出来る人物の出現が望まれる。      以上
                  (記録 福島 基之)


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